イエール大学大学院を卒業している衆議院議員の猪口邦子さん。
夫の猪口孝さんも東京大学名誉教授としてかなり優秀な方のようですが、ご自身の祖父・横田昇一さんもかなり目立った活動をされていた強者のようですよ。
そこでこの記事では猪口邦子さんの祖父にスポットをあて、どのような人なのかについてまとめていきます。
さっそく調査していきましょう。
目次
猪口邦子のwikiプロフィールは?
名前:猪口邦子(いのぐちくにこ)
生年月日:1952年5月3日
年齢:72歳(2024年11月29日現在)
出身:千葉県市川市
学歴:上智大学外国語学部
イエール大学大学院
職業:政治家
家族構成:夫(猪口孝)、娘2人(双子)
祖父母:横田昇一、横田葉子
父親:横田偉一、横田
猪口邦子さんは1952年生まれの72歳。
上智大学卒業というだけでもすごいのですが、更にイエール大学の大学院にまですすんでいるんですね。
イエール大学では政治学研究をしていたとのこと。
1980年に上智大学で講義を始め、1990年には教授に。
2005年には衆議院選挙の比例東京ブロックで初当選しています。
ご家族は夫と双子の娘の4人家族。
仕事と家庭と大忙しの毎日を送っていることと思います。
猪口邦子の祖父は何者?
名前:横田昇一
出身:岡山県総社市
職業:実業家、「蓄音機世界」社長
婚姻歴:1923年高橋葉子さんと結婚
家族構成:自身、妻、息子(横田偉一)
猪口邦子さんの祖父は実業家として「蓄音機世界」という会社を立ち上げ、雑誌「蓄音機世界」や「音楽と蓄音機」を発刊。
蓄音機の魅力を日本に伝え続けました。
また猪口邦子さんの祖父の偉業といえば”著作権制度”の保護。
こちらに関しては次の章でまとめますが、音楽の貴重性や芸術面を大切にしていた人のようですね。
祖母は歌人だった?
・千葉県夷隅郡大多喜町出身
・西畑小学校で代用教員として勤務
・並行して歌人としても活躍
・1936年交通事故で亡くなる(享年46歳)
猪口邦子さんの祖母は自身の母校である西畑小学校(元・大多喜町立西小学校)で教員として働きながら、歌人としても活躍していたとのことで、地元では名の知れた人だったようです。
宮崎県の有名な歌人・若山牧水からは「異色ある女流歌人」として賞賛されていたそうですよ。
しかし、1936年に交通事故により他界。
ふるさとを詠んだ歌も多く、ふるさとを愛し愛された人ということで、平成7年には大多喜町立西小学校の正門左側に歌碑がたてられました。
(大多喜町立西小学校のホームページでみることができますのでご覧ください。)
祖母の文化的で美しところは、猪口邦子さんに遺伝されているのかもしれませんね。
猪口邦子の祖父は法改正に関与した?
日本の音楽を救う改革!
当時の日本はレコードのコピーを取り締まる法がなかったため、売れているレコードを別会社がコピーして半値で売る…なんてことがザラにあったそう。
当然半値の方が売れてしまいますので、正規品を取り扱う会社はピンチになりますよね。
そこで立ち上がったのが猪口邦子さんの祖父・横田昇一さんでした。
日本の音楽会を救うため声をあげ、「日本音楽」の著作権を明確にするため働きかけたとのこと。
しかしコピー盤に対抗する一人が出てきた。雑誌「蓄音器世界」を発刊する横田昇一である。
引用:金沢蓄音器館公式サイト
彼は政府を動かし、ようやく大正9年に法改正を実現させた。
すごいバイタリティですよね!
著作権制度はどう変わった?
猪口邦子さんの祖父の働きかけで大正9年に見事改正された、著作権制度。
大まかにどのように変わったかと言うと…
改正前 | 改正後 |
---|---|
レコードのコピーはOK | コピーの作成はNG |
演技や歌唱能力は著作権対象外 | 「演奏歌唱」を追加し著作権が発生 |
と、「正規品」や俳優・歌い手の「能力」が作品として守られるものとなりました。
今の著作権制度のベースという感じですね。
この法改正により当時衰退していた日本のレコード会社は息を吹き返し、低い時の4倍までレコードの生産額が膨れ上がったそうです。
この法改正がなければ「新しいレコードを作る」ということがない国になっていたのかもしれませんよね。
まさに音楽界の功労者ですよね!
猪口邦子の祖父はなぜ成功した?
猪口邦子さんの祖父がなぜ、実業家として成功したのか、
先ほども申し上げた通り、猪口邦子さんの祖父は日本の音楽を守るため法改正までなしとげました。
もちろん簡単なことではありませんよね。
いつから横田昇一さんが法改正につながる運動をしていたかは不明ですが金沢蓄音器館の資料をみていくと…
大正3年:日本のレコード生産額が落ち込んでいたと記載あり
大正9年:著作権制度の法改正
このように法改正までに少なくとも6年間かかっていることはわかります。
横田昇一さんは自身の会社も経営しながら、この運動に携わっていたことを考えるとメンタルが強くあきらめない心を持っていた人なのではと思いましたよ。
強い心がなければ実業家としても、成功することはなかったのではないでしょうか。
猪口邦子は祖父の影響を受けている?
先ほどもお伝えしましたが、猪口邦子の祖父は「強い心」をもって、自分の信念をつらぬきました。
猪口邦子さんは2004年に初代専任の少子化大臣となったことを皮切りに、女性の働き方やジェンダーの問題、更には食育に関わることまでよりよい日本にするために活動してきました。
その結果として…
2003年:エイボン女性大賞 国連議長/小型武器軍縮
を受賞。
活動内容が高く評価されています。
祖父譲りのあきらめない心・強メンタルが猪口邦子さんの活動を支えたのではないでしょうか。
また猪口邦子さんは2019年9月23日、自身のフェイスブックに祖父のお墓参りの時の写真をあげています。
もしかすると「お礼」や「目標」を祖父の前で誓っているのかもしれませんね。
自慢のおじいちゃんなんでしょうね!
まとめ
今回は「猪口邦子の祖父は凄腕実業家!政府を動かし法改正までさせた強者?」をテーマに
猪口邦子さんの祖父・横田昇一さんについてまとめました。
- 猪口邦子さんの祖父は何者?
-
実業家、日本の著作権制度の改正に尽力した人
- 猪口邦子さんの祖父は法改正に関与した?
-
衰退する音楽業界を救うため、著作権改正の声をあげた
- 猪口邦子さんの祖父はなぜ成功した?
-
「あきらめない心」をもって信念を曲げなかった
- 猪口邦子さんは祖父の影響を受けている?
-
祖父の影響を受け、強い心で少子化、女性問題などに取り組んでいる
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
猪口邦子さんの祖父・横田昇一さんはバイタリティあふれる強いおじいさんだったようですね。
この方がいなければ、更にはあきらめてしまっていたら…
日本の素晴らしい音楽がどれだけ失われてしまったことでしょうか。
考えるだけでおそろしいですね。
信念に従い邁進する猪口邦子さんの祖父の姿は、猪口邦子さんのベースを作ったのではないでしょうか。
最後までおよみいただき、ありがとうございました!